岡山地方裁判所 昭和56年(ワ)881号 判決 1986年5月28日
主文
一 原告(反訴被告)らの本訴請求をいずれも棄却する。
二 原告(反訴被告)らは被告(反訴原告)に対し、連帯して、一三五万円及びこれに対する昭和五六年一二月一二日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告(反訴被告)ら
1 被告(反訴原告)は原告(反訴被告)らに対し、それぞれ三八五万円及びこれに対する昭和五六年一二月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
3 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。
4 右1につき仮執行の宣言
二 被告(反訴原告)
主文と同旨
第二当事者の主張
一 本訴請求原因
1 事故の発生
(一) 日時 昭和五六年七月二八日午後七時ごろ
(二) 場所 岡山市築港新町一丁目一八番五号先路上
(三) 加害車両 自動二輪車(岡ま三五五五、以下「本件車両」という。)
(四) 右運転者 被告(反訴原告)(以下、単に「被告」という。)
(五) 被害者 塩尻明久(以下「明久」という。)
(六) 事故態様 被告が明久を後部に同乗させて本件車両を運転して北進中、前方注視義務及び安全運転義務に違反したため、折から対向右折中の田井牧子(以下「田井」という。)運転の普通乗用自動車(以下「田井車」という。)の左側ボディーに衝突し、そのはずみで明久が田井車に向かって投げ出されたもの(以下「本件事故」という。)。
(七) 死亡 明久は、本件事故により、腹部、胸部外傷、両上肢骨折、左下肢骨折等の傷害を受け、約四時間後に死亡した。
2 責任原因
被告は、本件車両を使用して運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故によって生じた損害につき、明久に生じた損害賠償請求権をその父母として二分の一ずつ相続した原告(反訴被告)ら(以下、単に「原告ら」という。)に賠償する責任がある。
3 損害
明久の死亡による損害額は、次のとおりである。
(一) 逸失利益 一五〇〇万五二五〇円
明久は、昭和三八年一二月二〇日生まれで、本件事故当時は一七歳の高校生であったので、その翌年四月から四九年間就労可能であり、かつ、一八歳男子の月収は一〇万五三〇〇円を下らない。この間の生活費割合を五割とし、ホフマン係数を二三・七五として逸失利益の現価を求めると、次のとおりである。
一〇五、三〇〇×一二×(一-〇・五)×二三・七五〇=一五、〇〇五、二五〇
(二) 慰藉料 一二〇〇万円
(三) 損害の填補 二〇〇〇万円
(四) 右残額 七〇〇万五二五〇円
(五) 弁護士費用 七〇万円
合計額 七七〇万五二五〇円
よって、原告らは被告に対し、それぞれ右損害合計額の内金七七〇万円の二分の一である三八五万円及びこれに対する本訴の訴状送達の日の翌日である昭和五六年一二月二三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 本訴請求原因に対する認否
1 本訴請求原因1のうち、(一)、(二)及び(七)の事実並びに本件車両が田井車と衝突した事実は認めるが、その余の事実は否認する。本件事故は、明久が本件車両を運転し、被告が後部に同乗していて発生したものである。
2 同2は争う。
3 同3のうち、明久が本件事故当時一七歳の高校生であったことは認め、その余は知らない。
三 反訴請求原因
1 原告らは、昭和五六年一二月一一日、被告に対し、本件車両の運転者が被告であり、同乗者が明久であったとして、本訴請求である損害賠償請求訴訟を提起した。
2(一) しかし、本件事故を捜査した岡山南警察署は、本件車両の運転者は明久であり、被告は同乗者であったとの前提で送検しており、また、岡山地方検察庁も、同月一六日、明久を業務上過失傷害罪の被疑者としたうえ、被疑者死亡を理由として同人を不起訴処分とした。
(二) 原告らは、明久が本件車両の運転者であってほしくないと思うあまり、岡山南警察署において本件事故の捜査が行われていた時期に、独自の証拠収集活動に走ったため、同署からたびたび行き過ぎであるとして警告を受けていたが、同署及び検察庁において自らの主張がいれられないとみるや、本訴を提起したものである。
(三) すなわち、原告らは、刑事事件の捜査によって充分に真相が解明されていたにもかかわらず、これを覆すに足りる確たる証拠もないままに、かつ、本件車両の運転者が被告でないことを容易に知り得べき事情があったのに、単に被告に対して損害を与えることを目的として、あえて本訴を提起したものであって、かかる訴訟の提起は、公序良俗に反し、不法行為に当たる。
(四) したがって、原告らは、民法七一九条により、被告に対する不当訴訟の提起行為によって被告に生じた損害を各自連帯して賠償する責任がある。
3(一) 被告は、本訴にやむなく応訴せざるを得なくなり、弁護士費用として着手金三五万円の支出を余儀なくされた。
(二) 被告は、本訴の提起によって夜も眠れぬほどの精神的損害を被ったが、これを金銭的に評価するとすれば一〇〇万円を下らない。
よって、被告は原告らに対して、共同不法行為に基づく損害賠償金として、連帯して一三五万円及びこれに対する不法行為後にして本訴提起の日の翌日である同年一二月一二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 反訴請求原因に対する認否及び原告の主張
1 反訴請求原因1の事実は認める。
2 同2のうち、(一)の事実は認め、(二)の事実は否認し、(三)は争う。同3は争う。
3 民事訴訟は、国家が刑罰権を行使する刑事訴訟と目的を異にしているのであるから、刑事訴訟における被疑者の特定と同等の証拠を集めなければ提起できないものではなく、自己の主張を裏付け得る一応の根拠に基づいて訴訟を提起する限り、訴訟の提起が不法行為に当たることはないと解すべきである。本件においては、被告が本件車両を運転していたのを目撃したという者の供述書や本件事故発生直後の被告の不自然な行動から、原告らにおいて被告を本件車両の運転者であったと推理することには無理からぬ事情があるので、本訴については、訴訟の提起が不法行為を構成する場合に当たらない。
第三証拠
本件記録中の証拠に関する目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本訴請求について
1 本訴請求原因については、1(一)、(二)記載の日時、場所において、本件車両と田井車が衝突するという本件事故が発生し、その結果、明久が(七)記載の傷害を負って死亡したことは、当時者間に争いがない。本件事故の争点は、明久と被告のいずれが本件車両を運転し、いずれが後部座席に同乗していたか、という点に帰着するので、以下この点につき判断する。
2 明久と被告が本件事故の当日、本件車両で現場に至るまでの経緯等に関しては、いずれも成立に争いのない甲第一五号証、乙第五五号証、証人吉田元輝の証言及び被告本人尋問の結果によれば、(一) 当日、被告と明久は、一緒に買い物に行くなどして遊んだ後、午後七時前ごろ、連れ立って明久の友人である橋本享典の自宅へ赴き、橋本のほか、藤田和彦、木林義春外二名と落ち合ったこと、(二) 同所に集まった明久を含む七名の者は、そこから市内並木町にある喫茶店「ホンキートンク」へ行くこととなり、明久が橋本から本件車両を借りたうえ、明久が青色の、被告が白色のヘルメットをそれぞれ被って、明久が本件車両の運転席に乗り、被告がその後部に同乗したこと、(三) 藤田が運転して木林が後部に同乗した自動二輪車(以下「藤田車」という。)が発進したのに続いて、間もなく明久の運転する本件車両も発進したこと、(四) 藤田車が橋本宅を出発して本件事故の現場に至る途中、南北に直線に延びる道路を時速約八〇キロメートルで北へ進行中、運転席の藤田と後部の木林がそれぞれ後方を振り返ったところ、約一〇〇ないし二〇〇メートル後方に、出発のときと同じ青色のヘルメットを被った明久の運転する本件車両が追従してきており、本件現場から南方へ約三〇〇メートルの地点にある交差点を右折するのが見えたこと、(五) 藤田車が本件現場を通過して北へ約二〇〇メートル行った交差点で停止した際、藤田らが再度後方を振り返ったところ、本件事故が発生したことに気づいたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、藤田車に乗った藤田らが最初に後方を振り返った際、青色ヘルメットを被った明久が運転している本件車両を確認したが、それから、時速約八〇キロメートルで約三〇〇ないし四〇〇メートルを走行して再度振り返るまでの間、すなわち時間にして十数秒ないし二十数秒の短い間に、本件事故が発生しているから、本件事故の際本件車両を運転していたのは明久であると推認するのが相当である。けだし、この間に、明久から被告に本件車両の運転者が代わるということは、本件車両が藤田車に追従走行している状況で、かつ僅かな時間であることからして、不可能であると推測するに難くなく、この点についてこれを覆すに足りる特段の事情を認めるに足りる証拠もない。
3 次に、本件事故発生直後の状況及び本件事故の態様については、前記甲第一五号証、いずれも成立に争いのない甲第二号証の二ないし一八、乙第一ないし第四号証、第二二ないし第三〇号証及び鑑定人江守一郎作成の鑑定書並びに弁論の全趣旨を総合すれば、(一) 本件車両と田井車の衝突地点及び停止位置、乗員の転倒位置、本件車両及び田井車の質量等からして、本件車両と田井車の衝突時の速度は、それぞれ約毎時八〇キロメートル及び約毎時一五キロメートルであって、その衝突角度は約五〇度であったこと、(二) 本件車両と田井車の損傷状況等からして、本件車両は、鉛直から左へ約六〇度傾いた状態で、ヘッドライト付近が田井車の左後輪に食い込むようにして衝突し、その衝撃により後部を右に振る運動を起こしたこと、(三) 自動二輪車が衝突によって速度を減じても、慣性の法則により、乗員は、車両から離れてそれまでの運動を続けようとするため、車両から投げ出されて飛翔するが、相対的位置関係を変ずることはないところ、本件においては、被告の方が明久よりも進行方向の向かって右側(東側)に転倒しており、本件車両が衝突時に後部を右に振ったことを前提とすると、被告の方が明久よりも相対的に後ろに位置していたことになること、(四) 被告と明久の衝突地点から転倒位置までの各距離からして、両者の飛翔開始時の速度はいずれも約毎時三〇キロメートルであって、本件車両の衝突時の速度約毎時八〇キロメートルと対比すると、両者とも、どこかに当たってかなり減速された後に飛翔を開始したことになること、(五) 田井車の左後部ドアのフレームには明久の被っていた青色のヘルメットの塗料が付着しており、また、同車の左後部フェンダーには同人と血液型の一致する血痕が付着していることからも明らかなように、本件事故によって、明久は、田井車に衝突し、請求原因1(七)記載の重傷を負って、四時間後に死亡したのに対し、被告は、顔面・口唇挫創、両膝打撲、胸部圧迫等により約一〇日間の入院加療を要した程度の比較的軽微な傷害を負ったに過ぎないこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。右認定事実を総合すれば、本件衝突によって、明久は、まず本件車両から飛び出して田井車と衝突し、次いで後方から飛翔してきた被告と衝突し、両名とも速度を減速して飛翔し、路上に投げ出されたものと推認できるのであって、衝突時において明久が本件車両を運転し、被告が後部座席に同乗していたと認めるのが相当である。
原告らは、後部座席の明久が運転席の被告を飛び越えて田井車と衝突したものである、と主張するが、右主張は、証拠上の裏付けを欠く独自の見解であって採用できない。
4 なお、原告らは、本件事故発生後、被告が事故現場において何ら明久を救護することなく、現場近くの天満屋ハビータウン岡南店内のトイレに駆け込み、田井や被告の友人らがトイレの戸を開けて出て来るように言ったのに対し、単に中から応答するのみでなかなか外へ出て来なかったのは、被告が本件車両の運転者であることの徴憑である、と主張する。
しかし、証人田井牧子の証言及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、本件事故の発生後気を失っていたが、しばらくして意識を回復し、呼吸ができるようになったところ、明久が血まみれになって路上に転倒しているのを発見したので、電話をかけに行こうとして歩きかけたが、胸が苦しくなったので、現場の交差点横の電柱の下辺りに座り込んでしまったこと、その後、救急車を呼んだという女性の声を聞いて、電話をかけに行くのをやめたが、吐き気がすると同時に、自分の顔から血が流れているのに気づいて、これを流し落とそうと思い、同店内のトイレに駆け込んだこと、トイレに入って嘔吐するなどしている間に、被告の友人らが出て来るよう言ったが、意識がもうろうとして気分が悪かったため、なかなか外に出ようとしなかったこと、田井がトイレの外から、救急車が来ているので早く外に出るよう促したので、ようやくトイレから出て来たことが認められる。右認定事実によれば、被告は、ことさらに現場から逃げ出してトイレの中に隠れたとは認め難いのであって、原告らの前記主張は失当である。
5 以上のとおりであるから、被告が本件車両の運転者であったことを前提とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
二 反訴請求について
1 反訴請求原因1及び2(一)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
そして、本訴請求が理由のないことは、先に詳述したとおりである。
2 原告らが本訴請求を提起するに至った経緯についてみるに、前記甲第一五号証、証人吉田元輝、同日地啓夫の各証言、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、(一) 原告塩尻章三(以下「原告章三」という。)は、本件事故の当日、本件現場において実況見分中の警察官に対し、本件車両の運転者が明久らしいこと、同人が重傷を負って労災病院に運び込まれて手当てを受けていること、後部座席に乗車していた者が佐藤病院で手当てを受けていることをそれぞれ申告し、その後、佐藤病院に入院中の被告を見舞い、被告の父である日地啓夫に対し、明久が運転していて本件事故を起こして申し訳ない旨申し述べたこと、(二) その後、同年八月六日ごろになって、原告章三は、佐藤病院に被告を訪ね、被告が本件車両を運転していたと決めつけたうえ、被告が重傷の明久を放置して逃げたのではないかと被告を非難したこと、(三) 岡山南警察署において本件事故を捜査中、原告章三から同署の捜査官に対し、本件車両の運転者が被告であったことを目撃したとする女性四名(井上美紀、三宅百合恵ほか二名)を捜し出したから参考人として取り調べられたい、との申し出があったため、同署の捜査官が右四名を取り調べたところ、右四名のいずれからも本件車両の運転者の特定について信用性のある供述を得られなかったこと、(四) 原告章三は、右捜査と並行して、本件車両の運転者が被告であることを裏付けようとして、独自の証拠収集活動を行ったため、同署の捜査官から、今後は警察に情報を提供する程度にとどめ、独自の証拠収集を慎むよう注意を受けたこと、以上の事実が認められ、右認定事実に反する原告章三本人尋問の結果は信用することができない。他方、原告章三本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告らが本訴の提起に当たって、本件車両の運転者が被告であることを示す証拠として収集していたものは、被告が本件車両を運転していたのを目撃したとする井上美紀、三宅百合恵らの供述書(甲第七号証等)、本件車両を運転したのは被告であると思う旨等の田井の供述を録取したとされる弁護士吉田露男作成のメモ(甲第一三号証)があったに過ぎないと認められるが、前記甲第一五号証によれば、岡山南警察署の捜査によって、前記のとおり、右井上及び三宅らの供述が信用し難いことが判明し、また、本件事故直後の事情聴取において、田井が同署の捜査官に対し、同女が衝突前に本件車両に全く気づいていなかった旨供述していることが認められる。してみると、原告らが本訴を提起するに際して、被告が本件車両を運転していたことを示す証拠として援用するものは、いずれも捜査の過程において既に信用性が否定されたものといわざるを得ない。加えて、井上美紀及び三宅百合恵が当裁判所からの証人尋問の呼出しに応じなかったことは、当裁判所に顕著な事実であって、このことと、証人日地啓夫の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、同女らが前記の供述書を作成したのは、原告らから相当強力な働きかけがあった結果によるものと推認するに難くない。
また、本件事故の直後に被告がスーパマーケットのトイレに駆け込んだことは、確かに原告らとして被告に不審を抱くのも無理からぬ行動であるとはいえ、被告の弁解に素直に耳を傾けるならば、前認定のとおり、事故後の行動として何ら怪しむに足りないものであることに容易に思い至ったものと推察することができる。
以上の事実を総合すると、原告らは、本件事故の発生後、当初は明久が本件車両の運転者であったことを認める態度をとっていたが、被告の事故直後の行動に不審を抱いたのをきっかけに、一転して被告が本件車両の運転者であったと思い込み、被害感情にかられて、独自の証拠収集活動に走ったが、岡山南警察署の捜査の結果、自らの主張が容れられず、また、岡山地方検察庁の処分は判明していなかったものの、前記のとおりの処分となることが殆ど確実視されていた時点で、右処分の認定を覆すに足りる証拠もないままに、本訴を提起したことが認められる。
一般に、訴訟を提起した者が敗訴したからといって、右訴訟の提起が不法行為に当たるものでないことはいうまでもないが、提訴者が自らの権利のないことを知りながら、相手方に損害を与えるなど不当な目的をもって訴訟の提起に及んだ場合や、自らの権利のないことを容易に知り得る立場にありながら、確たる証拠もないのに訴訟を提起したような場合には、もはや裁判を受ける権利の正当な行使とはいえず、提訴者に故意又は過失があるものとして、不法行為に当たるとの評価を免れないというべきである。これを本件についてみると、原告らが被告に損害を与える目的をもって本訴を提起したとまでは、証拠上認め難いものの、前認定のとおり、本件事故については、捜査機関が原告らの申し出た証拠資料についても慎重な検討を加えて捜査した結果、本件車両の運転者は明久であったとの結論を出しているのであって、原告らとしては、たとえ右結論に感情的に割り切れないものが残ったとしても、公権的判断としてこれを尊重すべきであったのであり、被告が運転者でないことを容易に知り得る立場にあったものといわねばならない。しかるに、原告らが、右捜査結果を覆すに足りる新証拠もないのに、捜査過程において既に信用性の否定された証拠に依拠して、捜査機関によって本件事故の被害者と認定された被告を、加害者であるとしたうえで敢えて本訴を提起したことは、刑事事件の捜査の終結によってもたらされた法的安定性をいたずらに攪乱するものであり、かつ、被告の名誉、人格を不当に傷つけるものであって、もはや裁判を受ける権利の行使として正当化し得る余地がなく、不法行為としての評価を免れないものといわざるを得ない。
3 次に、右不法行為によって被告の被った損害について判断する。
(一) 弁護士費用
弁論の全趣旨によれば、被告は、本訴事件の応訴のために被告訴訟代理人と訴訟委任契約を締結し、着手金として三五万円を支払ったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、本訴事件の請求金額、その難易度、訴訟の経過等諸般の事情を考慮すると、右着手金三五万円は、右不法行為と相当因果関係のある損害であると認めることができる。
(二) 慰藉料
被告本人尋問の結果によれば、本訴提起の当時、被告は、大学受験を目前にした高校三年生であって、本来であれば本件事故の被害者として原告らに対して損害賠償を求め得る立場にあるのに、逆に原告らから加害者であると断定されて訴えられたのであって、このことによる精神的苦痛には少なからぬものがあると認められる。
その他本件に顕れた一切の事情を勘案すると、被告が被った精神的苦痛に対する慰藉料は、一〇〇万円をもって相当と認める。
三 以上の次第であって、原告らの本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、被告の反訴請求は、理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 白石嘉孝 安藤宗之 朝山芳史)